西加奈子「サラバ!」を読んだ
西さんの作品を読むのは初です。
サラバ!はアメトークの読書好き芸人で紹介されており興味はあったものの、上中下のボリュームに中々手が出ませんでした。
が、一度読み始めると一気!2日ほどで読み終わりました。
・感想
読み始めて驚いたのは、心情表現です。
少し話がそれますが、私が子供の頃近所の友達と夕暮れまで遊んでしまい家に帰るのが遅くなった時のことです。家に帰ると母親が電話をしながら泣いていました。何となく見てはいけないような気がして気づかないふりをしてしまったのですが、本書にも似たような場面があります。
母の涙を直視する勇気がなかった。
母が泣いていたのは確かだったが、その姿を見ることで、それが現実のものになるのが怖かった。
幼いころの言葉に表せなかった心情を、著者ははっきりと的確に表現しています。
気持ちを蔑ろにせずしっかりと受け止めて、そこから分析し、文字で表現できることに感心します。
また本書の言葉を用いて表すと、著者も
「いろいろと感じやすいところのある人」
なのだと思います。
自分や人の些細な変化から、"感じる"ことができない人には本書のような細かく的を得た心情描写はできないでしょう。
話の本題に移りますが、
主人公の歩も姉も長い時間をかけて自分の"信じるもの"を見つけていきます。
姉の言葉を借りると「芯」ですね。
姉は紆余曲折な人生を生きてきますが、最後には過去の自分も含めて自分を受け入れることで、自分を信じることができています。
姉や歩が見つけた芯についてはっきりと説明することができません。
主題である「自分の信じるもの」は人によって違うし、自分で決めないといけません。さて、私の信じるものとは…?
最後にこの本で一番好きな一節のご紹介です。
あらゆる人の、たくさんの苦しみ。(略)きっとそういう人たちのために、信仰はあるのだろう。自分たち人間では手に負えないこと。自分たちのせいにしては生きてゆけないこと。それを一身に背負う存在として、信仰は、そして宗教はあるのだろう。
中の最後辺りで、矢田のおばちゃんが「サトラコヲモンサマ」の由来を説明する所ですね。
個人的には以前からとにかく胡散臭いものが嫌いで、新興宗教にはまる人の気持ちが不思議で仕方ありませんでした。しかし、この一節で何となく分かった気がします。小説の中にこんな大切な主題をサラッと織り込めるなんて西さんすごい!と改めて感じます。
余談ですが、サラバ!に出てくる須玖が、芸人の又吉さんで再現されました。
いや、もう本人をモデルとしてるんじゃないでしょうか?
(又吉さんはティラミス~とは言いそうにないですが笑。)
そんなことを思っていたら、何と下巻の解説が又吉さん!
やっぱり何か関係が!(又吉さんの解説は、なるほどな~と思えるような核心をついた内容ではありませんでしたが、読後にも邪魔をせずすっと入ってくる素敵な解説でした。)
作品の中でよく出てくるニーナ・シモンのFeeling good、かっこいいです!
須玖と歩をつないだホテル・ニューハンプシャーもいつか読みたい。
洋書苦手だけど…。